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天災は忘れた頃にやってくる

 早いもので、もう今期の終わりを迎えます。この原稿を認めているのは2月21日です。我が家の庭には3本の梅の木があります。白梅の老木、枝ぶりの見事な紅梅と枝垂れ梅。老木には綺麗な花が今を盛りと咲き誇っていますが、紅梅の2本はまだしっかりと蕾を閉じて開花を今か今かと堪え忍んでいます。まるでコロナに悩まされている私達と思いを同じくして、スカッとした明るい世の中の到来を待ち受けているかの様です。

 コロナ騒動が起きた時に、ここまで長引くとは誰が予測出来たでしょうか。もうすぐ2年半になろうとしています。3年で終息するのでしょうか?

 「天災は忘れた頃にやって来る」という言葉があります。この天災とは、自然災害のことですが、その被害を忘れた頃に再びやってくるという戒めです。今回のコロナ騒動は人類史上初めて体験する災害でしょうが、歴史を遡ると100年ちょっと前にもスペイン風邪に襲われて約5億人が感染し1740万人の死者が出たと推定されています。当時の世界人口は約18億人なので1%の人が命を失ったことになります。

 一方今回のコロナの感染者数は1億4000万人を超え死者数も300万人を超えています。世界の人口は今78億人を超えています。医療の進歩や衛生状態の改善などで100年前とは条件は異なるでしょうが、コロナはまだまだ終息には時間がかかると見るほうがいいのかなぁと、ボンヤリと考えています。

 天災は忘れた頃にやって来ると申しましたが、通常の天災とは、やはり地震大国の我が国では、地震と台風と火山の噴火への備えが大切でしょう。2月ほど前私の住まいする太宰府市で真夜中に停電が起きました。かっては我が家にも備えとして練炭の備蓄が有りました。若い人は練炭?なんか見たこともないでしょう。今回の停電で我が家には災害に対する備えが全くなされていないと気づき直ぐに対策しました。東日本大震災や阪神淡路大震災の後には、マスコミも含めて災害への備えを声高く発していました。しかし時間が経つと人はそんなモノは遠くに過ぎ去った出来事として放ったらかしにしてしまうものです。これが人間の性(さが)なのです。だからそれを戒めるために「天災は忘れた頃にやって来る」という言葉が残されているのです。

 「備え在れば憂いなし」この言葉はその戒めに対応する教えです。私達は常にこの2つの教えを心に置いておきましょう。

 年度末の会長のボヤキでした。最後に親父ギャグで締めます。

『 天才は母の腹からやってくる。』オソマツでした。