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社 名 の 変 遷

 いよいよ6月を迎えます。和風の呼び方では「水無月」。梅雨を迎えるこの月なのになんで水無月?諸説ある様ですから皆さんお調べ下さい。

 南九州では5月末に入梅、北九州も月初めの予報です。現場の皆さんには鬱陶しい季節になりますね。

 さて、表題の社名の変遷ですが、1956年9月4日に最初の社名『末永運送』が福岡市中央区白金(当時の地名は向田町57番地)で産声をあげました。1960年に東区箱崎米山町2148に移転、2年後に東区社領3-9-6に2度目の移転。1966年4月に『末永通商株式会社』になりました。同じ時期にもう一つ『九州菱運株式会社』がスタートしています。この時期から会社は大きく成長発展の軌道に乗りました。自動車産業の発展と共に陸送の仕事が大きく広がり、それこそ運んでも運んでも運びきれないほどの仕事量でした。この時期に三菱自動車は宇美町の若草工業団地に広大なモータープールと部品倉庫を立ち上げ、我が社が一切の現場管理を任され、私も現場の第一線で若さを発揮した懐かしい時代です。

 当時の1番の顧客は三菱自動車、スズキはまだ発展途上中でした。

 陸送以外の仕事はグリコの乳製品輸送、今は消えて無くなっていますが参松工業の異性化糖、いわゆる水飴のタンクローリー輸送と我が国が元気に発展していった時代で、我が社も希望に満ち溢れていた時代です。1973年7月に本社社屋を建て替えています。1976年に私はブラジルの地に新しい活躍の場を求めて、奥方、長男の浩司を伴って渡っています。

 ブラジルの話はまたの機会のお楽しみに取っておきましょう。10年のブラジル滞在を経て1986年に帰国して4月からいきなり2代目社長に就任しました。若干41歳。大学卒業後6年の勤務経験はあるものの、10年のブラジル生活を経ていきなりの社長業です。大変苦労致しました。創業者の親父は、一切お前に任したから口出しはしないと、さっさと一線から引いてしまったのです。お陰でしっかり鍛えられました。

 帰国の1年前に福岡営業所の地を取得しており、私の社長スタートと期を同じくしています。

 1988年に東区筥松から太宰府市連歌屋にマイホーム移転。

 1999年にISO9001の認証取得と併せて社名を現在の『ロジテム九州』と致しました。初代からホップステップジャンプと三段跳びで現在に至っています。創業60年を期に社長の座を長男浩司にバトンタッチして、新しい血を導入して100周年を目指しています。皆さんの力を結集して素晴らしい100年企業が出来上がる事を願ってやみません。

 会長の独り言でした。