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宿命・運命

1999年8月にスタートした社内新聞『想いの道』も24年目になりました。社長の想いから会長の独り言と創刊以来原稿を書き続けているのは、この私だけです。よくここまで続いたなあと感無量です。この様な感慨に耽るのもある理由が有ります。宮本輝という小説家がおられます。読書好きな方ならああと頷ける著名人です。彼の代表作に「流転の海」という長編作があります。足かけ37年に亘って書き続けた超大作です。第一部に始まって第九部で完結した松坂熊吾一家の流転の物語。この原稿を書く直前に最後の第九部を読み終えました。熊吾は50歳の歳で伸仁という男児を授かるのです。早産で生まれた七百目(2625g)しかない脆弱な小さな赤ん坊でした。その子に対して「お前が二十歳になるまでは絶対に死なん」という誓いを見事に果たして71歳で亡くなります。最後のシーンは涙なしにはおられません。私の筆力では及びませんから是非原作をお読みください。会社に第一部から第九部まで揃えておきます。

作品中によく出てくる言葉が「宿命」です。私も奥方を失ってからよく宿命とか運命ということを考える時間が多くなりました。私の宿命とは?末永家の宿命とは?ロジテム九州の宿命とは?ライフローラの宿命とは?皆さんの宿命とは?78歳を過ぎて残された時間より過ぎ去った時間が圧倒的に長くなっています。私は人生をよく河の流れに例えるのですが、生れ落ちた時はその人が選んだ河の水源です。そこから長い時間をかけて上流中流下流と辿って最後は大きな海に流れ込んで一生を全うするイメージです。大きな河もあれば小川もあります。その選択は皆さん一人一人の責任にかかっています。その河を滔々(とうとう)と淀む事なく下り切る人生もあるでしょうが、私も含めて支流に流れ込んだり澱みにはまったり稀には逆流する人生もありましょう。この河の流れが宿命であり運命であると考えるのです。大河、小川、清流、濁流のいずれもが自分が選んだ宿命であり運命なんです。

江戸時代の言葉に「世の中は駕籠(かご)に乗る人、担ぐ人、その又草鞋(わらじ)を作る人」といものがあります。江戸時代のタクシーは駕籠でした。2人の駕籠かきが担ぐのです。乗る人は武家や金持ちの商人等、普通の市民は駕籠なんかに乗れませんでした。しかし駕籠かきも裸足ではありません。草鞋を履いていました。駕籠かきのその草鞋を作る人も又存在していたのです。駕籠に乗る階級、駕籠を担ぐ階級、駕籠かきの草鞋を編む階級とそれぞれでした。士農工商と厳しい階級社会ですね。どの階級に生まれたかで一生が大きく左右されていました。これも宿命運命ですね。我が国はその様な時代を経て近代化、新しい文明化に至っています。もはやかっての階級社会は存在しません。皆さんの知恵と才能とそれを活かし切る努力で宿命も運命も大きく展開していくことが出来る世の中です。多くの皆さんは今から長い人生が続いていきます。皆さんの人生が大きく羽ばたくことを願って筆を置きます。